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東北地方をはじめとする東日本の広い範囲で発生致しました大震災におきまして被害を受けられた皆様に謹んでお見舞い申し上げます。

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私も阪神大震災を経験した被災者 でした。
この度の東日本大震災の皆様のお役に立ちたい思いで、岩手県へ行ってまいりました。

そして被災地に来て、あまりにも津波の恐ろしさをはじめて知りました。

AM09:30 いわて花巻空港に到着。 さわやかな青空の下 岩手に入りました。
空港の中は、今回の災害から立ち上がろうとする多くのメッセージですでに埋め尽くされていました。

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遠野市の風の丘道の駅に着きました。 支援にどれだけ多くの方々が来られ、また多くの絆が結ばれているかがわかりました。

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遠野市役所にある<大阪府の現地支援本部>にやって来ました。 遠野の支援物資集積場にはボランティアの方々が来ておられました。 私が話を伺った方々は、東京や岡山から来られていました。 白いビニールのバスケットに入れて、食料や日用雑貨品をもらうことができます。

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俳優の渡辺謙さんがすでに第一中学校を激励に来られており、その時の写真が貼り出されていました。 合同葬の案内も貼られており、厳しい現実を突きつけられました。

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体育館内をこのようなダンボールで仕切っており、被災された方々のご苦労を考えると涙が止まりません。

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沿岸部の状況です。 これは県立高田病院です。 周りの建物はすべて流され、病院自体も3階までガラスが割れています。 まちがいなく津波で被害を受けた様子がわかります。

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一部残った防波堤やシーサイドのホテルは無残な廃墟となっています。

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鉄筋もこのように曲がり、電柱もなぎ倒されていました。

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コンクリートの地面もえぐり取られており、地面がいけのような状態になっておりました。

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岩手産業文化センターに来ました。 ここは、全国から届いた支援物資を県下に配送する拠点となっています。 階下の大フロアから2階にかけて 物資が山積みされていました。

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大槌町の様子です。 瓦礫の撤去作業は進んでいましたが、いかに今回の被害が甚大だったのかが一目瞭然です。

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これは、釜石の市街地の写真です。 1階部分が津波に流され、建物自体は残っていましたが、1階部分はほとんど使えない状態でした。

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大槌小学校の校庭に仮庁舎ができています。 学校を正面に見て、緑のテントの奥(山側)が罹災証明の手続き等をする仮庁舎です。

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小学校の正面はさほど被害を受けていないように見えますが、側面 特に2階から3階、4階部分が大きく焼けている様子が残っています。 町全体としても、どれだけ厳しい災害に遭ったのかを物語っています。

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これは大槌町役場です。 1階も2階もすべて壊れています。 役場の時計が4時16分あたりで止まっています。 亡くなられた町長をはじめ、多くの職員の方々が、2時46分から1時間半近く 大槌町の方々を守るためにここで陣頭指揮を執られていたとのことです。 心よりご冥福をご祈念させていただきます。

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また、大槌町では何度も報道された<はまゆり>も 見てきました。 横のショベルカーと比較して、その大きさがわかると思いますが、これほど大きい船が打ち上げられたのかと思うと、私自身が持っていた津波に対するイメージが一変してしまいました。

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視察を終えて

今回の被災地視察は、美しい青空の下 いわて花巻空港におり立ち、新緑の若葉まぶしい中での移動となりました。

街中では地震による被害はほとんど見られませんでしたが、沿岸の津波被災状況は信じがたい光景でした。 阪神淡路大震災の折に見た 神戸や長田の街と同じような光景を自分自身が生きている間に再び目にすることはないと思っていました。

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帰りの飛行機からは美しい夜空に満月が輝いているのが見えました。 幼き日に母に手を引かれ、夜道を歩いたことが懐かしく思い出されました。

自分に力が足らずとも、手を携えながら共に日本の中で生きていくことを覚悟して大阪に戻ってまいりました。

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